History
小粒ながら街角で光る、森山松之助設計の『日本最古の宝石店』
昭和4 (1929)年6月3日、日本最古の宝飾小売店として銀座にて開店しました。
初めは日本橋にお店がありましたが、 当時の社長・喜多村喜之助氏が、 銀座は商業の中心地になると考え、 移転を決めたそうです
もとはキセルや根付けなど金銀の細工物を扱っていましたが、 銀座に移ったころからダイヤモンドのアクセサリ ーなども作るように。 丁寧な仕上げにこだわり、 指輪は絹の洋服にもひっかからない と評判になりました
輝き続けるMARUKA
第二次世界大戦時、 高価なものを国に供出することとなり、 商品は全部なくなってしまいました。戦後は宝石の仕入れが困難な時期が続きましたが、 やがて商売を再開。 現在まで、 新しい試みを取り入れつつ、 創業時からの精神を引き継いでお店が続いています。店内には昔の写真が飾ってあり、 お客さんが親子二代、 三代でまちの様子を語り合うこともあるそうです
建物の特徴
森山松之助(18691949)の設計で、 昭和4 (1929)年に建築されました。
カットされた輝石を思わせるレリ ー フ、 真珠のような球形の照明、 屋根のスペイン瓦などが、 モダンでおしゃれな雰囲気を作リ出しています。 建物は大規模な改装を経ていますが、 3階と屋根にはレリ ーフやスペイン瓦が今も残っています
~オーナーの思い~
テナントの意向も取リ入れながら改修されてきた丸嘉ビルですが、3階は外側は当初のまま、 内部も昔の趣を残しています。 これは二代目社長・喜多村氏の熱望によるもの。 建物を愛する喜多村氏の思いが、歴史的に貴重なデザインを今に残しました。建物を作った人たち
設計者の森山松之助は、 明治後期から昭和初期にかけて活躍した建築家です。 台湾で多くの公共建築に携わりました。商業建築の作品も多く、 中央区では、 丸嘉ビルの他にヨネイ ビル(銀座)や玉置薬局(東日本橋)を設計しています。施工は清水組。 当時、 清水組が扱うのはもっと大規模な建物がほとんどでしたが、 向かいの交詢ビルの新築工事と同時期だったため、 担当することになったといいます